愛なんていらねぇよ、夏の陣<Type-Ⅱ>
2015年 01月 08日
こんばんは。かの魯山人も絶賛した市原ユウイチです。
『戦場のメリークリスマス』『THE END OF EVANGELION』『黄金狂時代』『独裁者』『キッド』『モダン・タイムス』…
年末から年始にかけて映画館に足を運んでは昔の映画ばかり観ていました。去年は映画館で新作よりも旧作を観る機会の方がずっと多かったんじゃなかろうか。
DVDで観るのと映画館で観るのとじゃ、作品から受け取るものの質も量もまるで違うと思っています。今作られているものを観ないで過去のものばかり観るなんて、と思われる向きもありましょうが、同時代を生きる人たちが何から着想を得てもの作りをしているのかを考えれば、コピーに触れるよりオリジナルに近い方を選ぶのは必然でしょう。や、単純に観たいから観るだけなんですけど。
今週末は 『ゴジラ(1954)』『用心棒』『椿三十郎』を観に行く意向。
年明け最初のバレエレッスンでした。どういう理解の仕方が自分には染み込みやすいのか。結局はやるしかないのだけど、そこに至る過程を、少しでも納得しながらやりたいというか。悪い意味で、やってる最中に自分が何をしているのか分からなくなってしまうのは何とかしたい。
来週から、2月の二人芝居のプレ稽古が始まります。読むべき脚本と向き合うべき役があることは役者にとって幸せなことです。ほんと。
自分で書いた台詞を自分で喋ったり自分で書いた歌詞を自分で歌ったりするのは恥ずかしいんじゃないかと、何かのはずみでふと想像したわけです。
言いたいことを言うのは勇気が要る。出来れば自分は黙って、他の人に言ってもらいたい。自分が言うとどもってしまったり混乱して支離滅裂になってしまったりするなら、自分よりも伝え方の上手い人に任せた方がいいという考え方も、ある。あるります。
押し売りが本当に嫌いです。されるのも嫌なので、自分がする側になるなんて何が何でも絶対に嫌。必要とされてないのにグイグイ売り込みに来る人ほど無神経でデリカシーに欠けるものはないと思っています。僕は必要とされてないと分かった時点で立ち去ります。そこが自分の欠点にもなっている自覚はあるのですが、だからと言って曲げちゃいけないものがある。解釈を変えればいいだけかな。憲法の話みたいになってますけども。写真は年末年始に実家で見つけた年代物のお宝。
etk.
『戦場のメリークリスマス』『THE END OF EVANGELION』『黄金狂時代』『独裁者』『キッド』『モダン・タイムス』…
年末から年始にかけて映画館に足を運んでは昔の映画ばかり観ていました。去年は映画館で新作よりも旧作を観る機会の方がずっと多かったんじゃなかろうか。
DVDで観るのと映画館で観るのとじゃ、作品から受け取るものの質も量もまるで違うと思っています。今作られているものを観ないで過去のものばかり観るなんて、と思われる向きもありましょうが、同時代を生きる人たちが何から着想を得てもの作りをしているのかを考えれば、コピーに触れるよりオリジナルに近い方を選ぶのは必然でしょう。や、単純に観たいから観るだけなんですけど。
今週末は 『ゴジラ(1954)』『用心棒』『椿三十郎』を観に行く意向。
年明け最初のバレエレッスンでした。どういう理解の仕方が自分には染み込みやすいのか。結局はやるしかないのだけど、そこに至る過程を、少しでも納得しながらやりたいというか。悪い意味で、やってる最中に自分が何をしているのか分からなくなってしまうのは何とかしたい。
来週から、2月の二人芝居のプレ稽古が始まります。読むべき脚本と向き合うべき役があることは役者にとって幸せなことです。ほんと。
自分で書いた台詞を自分で喋ったり自分で書いた歌詞を自分で歌ったりするのは恥ずかしいんじゃないかと、何かのはずみでふと想像したわけです。
言いたいことを言うのは勇気が要る。出来れば自分は黙って、他の人に言ってもらいたい。自分が言うとどもってしまったり混乱して支離滅裂になってしまったりするなら、自分よりも伝え方の上手い人に任せた方がいいという考え方も、ある。あるります。
押し売りが本当に嫌いです。されるのも嫌なので、自分がする側になるなんて何が何でも絶対に嫌。必要とされてないのにグイグイ売り込みに来る人ほど無神経でデリカシーに欠けるものはないと思っています。僕は必要とされてないと分かった時点で立ち去ります。そこが自分の欠点にもなっている自覚はあるのですが、だからと言って曲げちゃいけないものがある。解釈を変えればいいだけかな。憲法の話みたいになってますけども。写真は年末年始に実家で見つけた年代物のお宝。
etk.
by jet-beetle
| 2015-01-08 02:16
| 雑記