喪失についてのつれづれ
2016年 12月 11日
どうやったら“喪失”を乗り越えていけるだろうか、ということをこの何年か考えている。
何かを得ることは何かを失うことと表裏一体だったりするし、何かを得た瞬間それを失くす恐怖が始まる。
そしていつかやってくる喪失。自ら望んで手放すこともあれば、望まない喪失もある。や、喪失っていう以上後者か。
いろんな形の喪失がある。残された人の人生や生き方を変えてしまうほどのものだってある。そこまでの喪失を経験していない自分のような者が何を書いてんだって話ですが。
元々一人で生まれて死ぬ時も一人。でもその途中でたくさんの人生と交わり、一人じゃなくなる時間がたくさんある。一人じゃないと思える時間が。
錯覚だろうか。得たと思わなければ失うこともないんだろうか。期待しなければ裏切られることもないように。
「さようならが寂しくないなら 手放す時ためらわないなら 会わない方が すれ違う方が 手に入れてしまわない方が」(不死身の花 / ザ・ハイロウズ)
今年、宇多田ヒカルが8年ぶりに発表した新譜『Fantôme』はほぼ全編にわたって、3年前に亡くなった彼女の母親のことが歌われている。曲によってはどうしようもなく重く、暗い。そんなアルバムがチャートの首位に立ち、日本以外の何ヶ国もの国のチャートに入り、朝の連ドラの主題歌になり国民的ヒットになったこととか、こんなにも受け手が発し手の事情を知った上で聴くアルバムも珍しいんじゃないかなとか、色々なトピックや思うことはある。
昔、彼女の“For You”という曲を聴いた時に、孤独について歌わせたら彼女の右に出る者はないなと思ったけど、その点に関しては健在どころか、より深いところにいってるなと思う。
このアルバムの歌でも歌われているし、昔からよく云われる、「わたしの中にあなたがいる」。その人はいなくなっても、その人から教わったこと、その人から受けた影響、その人が選びそうなこと、そんなことが自分の中にあるなら、その人は永遠にいなくならない。死ぬまで一緒だ。
とは言え実体のないものを抱えて生きていくのは時につらい事だと思う。それを埋めようとして人はもがく。悪いクスリにも手を出す。喪失を越えていくものは何だろう。
結局は出会いと別れを繰り返していくだけだろうか。得ては失い、得ては失い。その中で虚無的になったり失うことを恐れる余り人を束縛したりもするでしょう。するでしょうよ。その中で強くなるとか難しいことでしょうよ。
それでも悲しいことに/ラッキーなことに、人はいつか忘れる。そのことは忘れなくても、痛みや感傷は薄まる。忘れようとしても思い出せないっていうのが現実になる。それは、いなくなった物や人が自分と同化するから。わたしの中にいたあなたが、自分の一部になる。それが、クワイ=ガン・ジンの言う“リビング・フォース”にもつながるような気がして。
etk.
追記。『トニー滝谷』と『her 世界でひとつの彼女』という映画にインスパイアされて書きました。
何かを得ることは何かを失うことと表裏一体だったりするし、何かを得た瞬間それを失くす恐怖が始まる。
そしていつかやってくる喪失。自ら望んで手放すこともあれば、望まない喪失もある。や、喪失っていう以上後者か。
いろんな形の喪失がある。残された人の人生や生き方を変えてしまうほどのものだってある。そこまでの喪失を経験していない自分のような者が何を書いてんだって話ですが。
元々一人で生まれて死ぬ時も一人。でもその途中でたくさんの人生と交わり、一人じゃなくなる時間がたくさんある。一人じゃないと思える時間が。
錯覚だろうか。得たと思わなければ失うこともないんだろうか。期待しなければ裏切られることもないように。
「さようならが寂しくないなら 手放す時ためらわないなら 会わない方が すれ違う方が 手に入れてしまわない方が」(不死身の花 / ザ・ハイロウズ)
今年、宇多田ヒカルが8年ぶりに発表した新譜『Fantôme』はほぼ全編にわたって、3年前に亡くなった彼女の母親のことが歌われている。曲によってはどうしようもなく重く、暗い。そんなアルバムがチャートの首位に立ち、日本以外の何ヶ国もの国のチャートに入り、朝の連ドラの主題歌になり国民的ヒットになったこととか、こんなにも受け手が発し手の事情を知った上で聴くアルバムも珍しいんじゃないかなとか、色々なトピックや思うことはある。
昔、彼女の“For You”という曲を聴いた時に、孤独について歌わせたら彼女の右に出る者はないなと思ったけど、その点に関しては健在どころか、より深いところにいってるなと思う。
このアルバムの歌でも歌われているし、昔からよく云われる、「わたしの中にあなたがいる」。その人はいなくなっても、その人から教わったこと、その人から受けた影響、その人が選びそうなこと、そんなことが自分の中にあるなら、その人は永遠にいなくならない。死ぬまで一緒だ。
とは言え実体のないものを抱えて生きていくのは時につらい事だと思う。それを埋めようとして人はもがく。悪いクスリにも手を出す。喪失を越えていくものは何だろう。
結局は出会いと別れを繰り返していくだけだろうか。得ては失い、得ては失い。その中で虚無的になったり失うことを恐れる余り人を束縛したりもするでしょう。するでしょうよ。その中で強くなるとか難しいことでしょうよ。
それでも悲しいことに/ラッキーなことに、人はいつか忘れる。そのことは忘れなくても、痛みや感傷は薄まる。忘れようとしても思い出せないっていうのが現実になる。それは、いなくなった物や人が自分と同化するから。わたしの中にいたあなたが、自分の一部になる。それが、クワイ=ガン・ジンの言う“リビング・フォース”にもつながるような気がして。
etk.
追記。『トニー滝谷』と『her 世界でひとつの彼女』という映画にインスパイアされて書きました。
by jet-beetle
| 2016-12-11 00:00
| 雑記